人生
今日はちょっとセンチメンタルなお話しをしようと思う
人生80年
まぁ、実際何歳まで生きるかはわからんが何も成し遂げていないものが挑戦という旗を掲げるのなんてどう考えても60歳くらいが限界の限界だと思う
人間の基礎づくりは10代までにほぼほぼ終わっていて、その延長線での学びや行動力、そして運などが作用して光ることが出来るかどうか
20代のころはそんなことにも気が付かずにまるで夢物語のような可能性を願ってまだまだ若いって思ってたよ
いつかはやろう
いつかはやろう
いつかは出来るだろうと
そして30代
この頃からは多少の危機感には気がついていた
もうそろそろヤバいんじゃね??
ついに動く時が来たんじゃね??って
本当は気がついていた
それでも耳をふさぎ目をふさぐ
30代になってからはあらゆる講演会やら動画やらで自己啓発もしていた
でもそんなのは人生に1ミリだって変化を起こさなかった
ただの聞き流しに過ぎない
右から聞いて左に流れる
学習成長のある小学生だって授業中に先生の話だけを聞いてテストで良い点を取れる子はいない
ノートに書き写し、問題集を解いていって初めて理解して力になる
ただの授業に参加して聞き流しているオッサンがどうして成長なんか出来ようか
ただ、小学生とオッサンの違いは強制されないということ
ある意味自由
だからこその自己責任
面倒くさい大切な行動を省き、なんの力も持ち得ない奴が実力なんてつくはずもなく
目の前のアメ玉にしゃぶりつき笑顔になっている様は俺そのものだ
そしてだからこその怖さも覚える
正直前に出るのはおっくうで何よりも怖いことなんだ
この頃に学んだことは現実なのかもしれない
圧倒的な実力不足は嫌になるほど社会という予習復習で学ぶことになった
もう一歩踏み出すことは恐怖でしかない
落ちたら死ぬ
目の前には針山が広がっていた
俺はゴミ山から拾ってきたソファーを置き、目の前に広がる針山の前で漫画本を読みアメ玉を頬張っていた
そして40代
悶々としながら生きている
そんなある日
コジローがやって来た
なんかね
凄く救われた気持ちになる
俺の人生で転んで転んで傷だらけになった過去
これを全て乗り越えてさ
俺の無念が晴らされると、、、
自分の人生をコジローに乗せようとしている自分がいることを知っている
これ
すげー怖いよね
いい意味で言えばたくさんの学び(失敗談)から得た知識でより良い人生を歩ませれる
悪い意味で言えば呪いのようなもの
まぁ、俺はそう言う重たいタイプではないのでそこを変に心配する必要はないんだけどね
思うことはさ
シンプルにダサいよね
愛情くれたり、教えてくれたり
それも大事
でも父親の一番の子育ては背中で何を語るのかでしょ
そう考えると恥ずかしすぎて、隠れたくなるわ
薄っぺらい言葉や、感情の表現は厚みがない
どんな言葉も、どんな思いも、背中からあふれ出る力には及ばない
もう折り返し地点は過ぎている
裸の村人Cの俺
喋る言葉は『ここには可愛い踊り子がおるんじゃ』
流石に世界を救える勇者になりたいなんてもう口がさけても言えない
だけどせめて武器屋の商人に
せめて勇者に大切な事を伝えられる村人に
そう願いながら
今日も現実世界のロールプレイングの檻の中で
『ここには可愛い踊り子がおるんじゃ』と答え続けるのか?
自問自答を繰り返す
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コメント
そう解っていても家族に隠れてギャンブルに走ってしまう。
駄目だ駄目だと思うけど変えられない現実。変わらない日常。
解ってはいるんだけどね。
子供達にギャンブルする男とは絶対付き合うな!
と言ってパチ屋に向かう俺。
駄目だw