あれは、21歳くらいのとき
当時俺は佐川急便の派遣をやっていた
配るほうではなく、荷物を仕分けしてトラックに詰めておく作業だ
よる22時くらいから朝の5時くらいまでの仕事
当時一番印象に残っていること
それは、、、
よる、22時くらいに配達の威勢のいいお兄さんがテカテカした顔で帰ってくる
そして何だかんだで23時くらいになると
『お疲れっ♪』と家路に変える
そして、朝4時半になると爽やかな笑顔で出勤してくるのだww
え??
さっき会いましたよね??
ちゃんとに寝ました??
本当の話だが毎日そんな感じだった
(特に印象に残っている人の勤務時間)
さて、本題です(‘ω’)ノ
スロットとの出会い
この頃パチンコは週に5回ほど通っていた
と言っても丸まる1日打つということはまぁない
パチンコって1日打つもんじゃなくない??
基本的に大当たりが出て1~2箱のまれたやめる
それが俺のスタイルだった
スロット最盛期の佐川急便の派遣
そこに勤めるような奴はたいていギャンブルをしている人たちばかりだった
打ち子をしている人も何人かいた
その中で仲良くなった佐藤という同じくらいの歳のやつがいた
彼はスロットの中毒者だった
俺はパチンコ専門
彼はスロット専門だった
話をしているうちに、一緒に打ちに行くことになる
俺は1Fのパチンコへ
彼は2Fのスロットへ
朝から打ち4時間が経過した
少しだけ勝ったジロウ
そろそろ帰っても良い感じ
満足タイムだ
2Fの彼のもとに行く
すると、、、
彼はまだ打っていた
帰る様子は全くない
熱くなっていたのだ
俺は暇だったので適当に座って打つ
スーパーブラックジャックだった
投資千円でビックを引く
佐藤は異常に興奮していたww
佐藤『ジロウマジかよ
熱いじゃん、これルーレットだよ
入れるんだよ、頑張れよ』
このビック中にST抽選でスロットのボタンをどこか押すかでその後の確率が変わってくる
これにまず驚く
え??
ガチ抽選なの??
スロットにハマったキッカケとなる
パチンコも勝てば自力感はある
しかし、スロットの醍醐味は何といってもこの自力感を感じるポイントが非常に多いのである
特にこういう、どのボタンから押すのか3択になっているこのガチ感はギャンブラーにとってはたまらないものだった
みんなヒーローになりたいんだよ
でもそんなに凄い事なんて現実世界ではなかなかおこらないだろ??
スロットではこういう栄光を勝ち取った的な達成感を得ることができる
それが中毒を生む一番の原因だと思っている
この最初の日は1000枚ほどコインを出して勝つことができた
それがジロウにとっては第二の衝撃だった
当時のスロットの箱は今よりも大きい
1箱1500枚
カチ盛で2000枚入る箱だ
パチンコは1箱5000円~7000円
等価は少なく2.5円交換が多かった
スロットは当時も等価が多かった
まぁパチンコの箱とスロットの箱を比べるものではないが💦
しかし、当時吉宗が流行りだす時
アラジンチャンスなどの言葉は店内放送のマイクでもパチンコをしながらも聞いていた
そう、、、
この1箱3万と言われる宝石箱を山積みにしている人が何人もホールにいる
それが当時のスロットだった
スロットは儲かる
ジロウの脳裏に深く刻まれた日だった
続く
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